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みかんの産地愛媛から、ビッグアップルの愛称で知られるニューヨークに2006年10月に移住。面白いことがあると聞けば、ニューヨーク内外問わずに出かけて行きます!!新しいことを発見するのが大好き(^0^)


by hatsup

ベルリンと言えば? やっぱり壁でしょう。

ベルリンの壁が崩壊して20年。今も一部の壁が残されています。
Part of the Berlin Walls was preserved after its collapse.
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第2次世界大戦でドイツが負けたため、アメリカ・イギリス・フランスが統括する資本主義の西ドイツ、ソ連が統括する共産主義の東ドイツに分断されました。そのとき、ベルリンはも西と東に分けられ、西ベルリンは東ドイツの中に浮かぶ島のような存在でした。そして、厳しい共産主義の東ベルリンから、西ベルリンに逃げようとする人が相次いだため、国民の流出を防ぐ目的でこの壁が作られたのです。西ベルリンは周りを全て壁で囲まれていました。下の写真は「チェックポイント・チャーリー」と呼ばれるかつての国境検問所。
Checkpoint Charlie was the name given by the Western Allies to the most well known Berlin Wall crossing point between East Germany and West Germany during the Cold War.
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警備はやはりとても厳しかったようです。
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チェックポイント・チャーリーのすぐ横はベルリンの壁博物館になっています。博物館の外の壁には、ベルリンの壁の破片が飾られています。博物館のお土産やさんには、本物のベルリンの壁の破片が入ったキーホルダーやペンダントなどのグッズが売られていました。
Berlin Walls Museum
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落書きだらけの壁の一部。やはり、ちょっとやそっとでは越せない高さですね。
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 ベルリンの壁のあった時代について、Malteのお母さんにお会いして聞くことができました。(Malteのお母さんは元英語教師なので英語が上手です。) お母さんや両親は西ベルリンに住んでいたのですが、敗戦により親戚が住んでいた地区は、東ベルリンになってしまい、なかなか会えなくなってしまいました。西に行くにはたくさんの手続きが必要で、西に滞在中に持っていたお金は、東に持ち出せないようにするため、全て置いてから東ベルリンに帰らなくてはならなかったそうです。親戚なのに全く住んでいる境遇が違い、なかなか会えないなんて、つらかったでしょうね。Communist Mosaic remains in the former East Berlin.
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最後にこれは、かつてソ連統括下の東ベルリンだった地区に今でも残っている壁画です。このようなモザイク壁画は共産主義の特徴です。この絵には、さまざまな分野の職業で活躍している人々が描かれ、国民の働く意識を高めようとしていたようです。


Part of the Berlin walls was preserved after its collapse.
by hatsup | 2009-10-18 03:25 | Travel